- 2005年10月24日 13:43
- ESSAY
病気のペットを飼っていて実感するのは、健康がいかにありがたいものであるかということです。
でも、病気になってしまったからといってそのことにこだわり、とらわれすぎていては、せっかく一緒に過ごせる時間が無駄になってしまうのではないかと思うようになってきました。
ルナっちの目が見えなくなってかれこれ半年が過ぎようとしています。
当初は「もしかしたら見えてるんじゃないか?」と思わせるような仕草もありましたが、今ではそれもなくなってきてしまいました。
その代わりというわけでもないんでしょうが、見えなくなり始めた頃にはしなかったことができるようになってきたりもしています。
ルナにとってぬいぐるみは、私に投げてもらってそれを追いかけるのが一つの楽しみだったのですが、見えなくなってからはそれができないので、ぬいぐるみ自体にも興味を示さなくなっていました。
私にとってはとても悲しい変化でした。
でも、今では、昔のように投げてもらって追いかけることはできないけど、ぬいぐるみを噛んで引っ張って、という遊びは再開するようになってきました。
ペットボトルを食いちぎる遊びも、見えなくなってしばらくはしなくなっていたのですが、ここ数ヶ月はまた興味を示すようになって、以前ほど完膚なきまでにやっつけることはないにしても、ラベルをはがして遊ぶことはできるようになっています。
家の中の様子はすっかり頭に入っているようで、多少荷物が増えたり減ったりしてもうまく避けて歩けるようになっています。
見えなくなった当初は、「周囲に何もない」ことを確認する術がなくなってしまったので、ドッグランのような開けた場所に行ってもぽつんと立ちつくしてしまっていました。
自分の周りの臭いだけを嗅いで、時々背中に擦り込んで満足するような状態でした。
今ではロングリードで遊ばせると、あちこちに鼻をつっこんだり茂みに潜り込もうとしたりかなりアクティブに遊ぶようになりました。リードがついていると安心するようで、一緒になら走ることもできるようになりました。
逆に、今まで通りの生活ができるようになってくると、思いがけないいたずらをされてしまったりすることもあり、目が見えないと思って油断しているととんでもない事態に発展することもあるので、気を引き締めなくてはとも思います。
ルナっちはそれでなくても腫瘍の再発やミオクローヌスといった心配な病気を抱えていたので、目まで見えなくなったことを認め、それを受け入れるのは本当に難しいことでした。
ある時、定期検診をお願いしている腫瘍専門医の先生が、いつまでも失明したことにこだわっている私に向かって
「ルナちゃんは目が見えない他は充分健康だし、気になっている腫瘍も今のところ
あまり成長していないみたいだし、ごはんはちゃんと食べられて栄養状態もいいし、
歩いたり走ったりすることもできるし、生活の質という面では全然悪くないと思うよ」
という趣旨のことをおっしゃいました。
それを聞いた時には、「え~。それでも見えないより見えた方がいいに決まってる」って少し反発する気持ちがあったのですが、むきになって目が見えないことに対抗しようとして結局ルナに負担のかかる検査や治療を増やすだけだとしたら意味がありません。
腫瘍にしてもそうなのですが、病気をやっつけようと飼い主がむきになるということはつまり病気を持っているペットそのものを傷つけてしまうことにつながりかねない、危うい側面も持っているのではないかと思うのです。
病気やその原因に対して、それを排除しようとする力を強く行使すればするほどペットの体にもダメージが及ぼされるということは、病気と闘うことに専念する飼い主にとっては、冷静に考えなければなかなか気づくことができないことかもしれません。
私は、主治医からアドバイスを受けることができて、幸運でした。
今では、余計な検査や投薬は避けて、確実なものだけを選ぶ決心を新たにすることができたように思います。サプリメント類も一時に比べて半数以下に減らしました。
病気のあるなしにかかわらず、人間よりも遙かに短命な小動物たちと暮らすに当たって、その時間をいかに充実したものにするかは飼い主の気持ち次第なんですね。
今は、いつか迎えることになる最期のその時に、不必要に苦しませることのないようにその時を穏やかに迎えることができるように、心を砕いていければと思う毎日です。
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