ルナっちは寛解期がとっても長く(前回もまるまる1年は無症状のままでした)先月の検査でも目立った徴候は見られず、今は元気いっぱいで、とても癌を隠し持っているようには見えません。
今は症状の出ていないどんな子でも、飼い主が気づかないうちにその体内が癌細胞に侵されている可能性は充分にあります。
しこりの形で、目に見えたり手で触ることができるようになった段階では、すでに癌細胞は数億個の単位に増えているのです。
(脅かす目的のエントリじゃありません。ごめんなさい)
だから私はルナっちが特別かわいそうな存在だとは思っていません。
どうしてルナっちがこんなことになってしまうの?
ルナっちはなにも悪いことをしていないのに。
…とも思ったことがありませんでした。どうしてだろう?
私は冷たい飼い主なのだろうか。
しばし黙考…ルナっちの朝ごはんを作りながら考えました。
どうしてこんなことになるのか?ルナが悪いの?私が悪いの?
そして、思い当たりました。
それはルナっちが生きているからだ。
犬として生まれて、日々成長して、今はその成長が老化という形に変化してしまっただけのことだと。
ルナっちは最後の最後のその時までせいいっぱい生きるために生まれてきました。
私にできることはそれをやっぱりせいいっぱいサポートすることでしょう。
苦しむために生まれてきたのではないので、ただ生き延びることが苦痛なだけの過程になってしまったら、もしかしたら人為的にそれを終わらせることもあるかもしれません。でもそれはルナっちが生きることをあきらめたわけではありません。
ルナっちの最後のその時に、運命を呪ったり、自分を責めたり、誰かのせいにして自分のなすべきことから逃げたくない、だから今は毎日を楽しく、仲良く、気持ちよく、かつ淡々と過ごしていくためにできることをあれこれやってみているところです。
それもとても楽しい試みです。
癌細胞は未知の世界からやってきた侵略者ではなく、暴走するルナっちの一部です。
暴走するにいたるきっかけは、外的要因(環境汚染、食物汚染)や遺伝が深く寄与していますが、元はルナっちの一細胞なのです。だからといって、癌細胞を容認することは私にはできません。
でも、否定したり無視したりすることもできないのです。
そういう意味でも、この病気の治療は、やはり闘いというよりは共存の意味合いが強いように感じています。一番の治療は、癌細胞を切り取ったり殺したりすることではなく、癌細胞が暴走しないように身体を調整することだからです。
こんな風に割り切れてしまう私は、やっぱり冷たいのかな?
偉そうなことを書きつつも、もちろんまだ迷いはありますが…
いえ、むしろ迷っているからこうして書いているのかもしれません。
